江戸時代の道

笹森岳

秋田領の道

盛岡領境石標

ヒヤ潟

助小屋

秋田領境石標

貝吹岳

赤が稜線上の藩境

緩衝地帯として両藩が管理

助小屋跡

一里塚?(疑定地)

掘割の道

ヒヤ潟から国見峠に向かう道

春おそくまで残る江戸の道の雪

 稜線上を最短距離を結ぶ江戸の道は、傾斜がきついものの掘割と呼ばれる方法で作られ、春おそくまで雪が残るために、歩きやすく、道は今でも良好な状態で保存されてる。

 この道は秋田・岩手両藩によって管理され、公儀の御馬買衆や巡見使が通るたびに整備が進み、ますます人や物資の交流が盛んになった。

今も利用できる歩行者専用峠道

峠道は、それぞれの藩境までが、それぞれの藩で、緩衝地帯は両藩が共同で整備したといわれる。