上下5里半(25km以上)といわれた国見峠は、盛岡側からは、ふもとの橋場の関所を出ると、坂本川沿いにゆっくりと上りが続き、一の渡りから急な登りの山道がはじまる。途中で一里塚(確認中)があり、さらに登ると一つ目の頂上(明治以降はここを仙岩峠と言う)である的方(まとかた)に出る。的方には「従是西南秋田領(これよりせいなんあきたりょう)」と刻まれた石標が塚の上にあり、西南に秋田県が見晴らせ、東南は雫石盆地、北東には岩手山並んで北には秋田駒ケ岳が見晴らせる。そしてちょうどこの真下に仙岩トンネルが通過している。


 的方からは主に稜線をいく道が続く(林道上の道)。しばらくいくとちょっと降りた場所に「助小屋跡」と石標がたった広場がある(現代の林道・作業道・明治の道の右手)。この「助小屋」は大正時代まではっきりと地図に示され、峠の非難小屋のほかに、ふもとの人々の信頼で行われた無人の「助小屋交易」の行われた場所と考えられる。この場所からも秋田側の眺望が開けている。

 助小屋を過ぎてしばらく行くと下りの道になる。その下りの終点に「ヒヤ潟」と呼ぶ比較的大きな潟(湖沼)がある。ヒヤ潟はちょうど稜線上にあり、潟の周りは平らなひろい広場のようになって、西に秋田の生保内、東に雫石が見える。今はそこに舗装道路が延びている。昭和39年に完成した仙岩道路の名残りで、ヒヤ潟を見おろすように仙岩道路開通記念と刻まれた石碑がたって、秋田方面を見下ろしている。ところどころ崩壊してるこの舗装道路は今は廃道となっている。
このヒヤ潟にはその名前の由来となる、この潟に住む竜と少女の悲しい物語が伝わっている。

 道はヒヤ潟から北に向かって上りになり国見峠を目指す。この道は掘割道が少ないために、熊笹によってかなり道の面影をなくして、ともすれば方向を見失いそうな場所がありやや危険が伴う。ところどころの掘割をたより藪こぎをしてに進むと一瞬で道が開け、左に「従是北東盛岡領(これよりほくとうもりおかりょう)」と刻まれた石標が立っている。すぐ北側に駒ケ岳が、北東に岩手山のすばらしい眺望が広がってまさに国見峠の名にふさわしい場所。眼下には国見温泉の建物が見えて、そこに続くと思われる「やぶ道」(整備状況不明)が伸びている。
ここから少し登ったところが国見峠で江戸の峠道の最高点。

 国見峠の先は、下りで「土のぼっと一里塚」と標柱などがあり、生保内の六枚沢沿い六枚野にでる道があったはずだが、今はまだ未調査である。

江戸時代の道

道程