しかし、この道は、毎年冬季の「雪」による通行止めが行われ、半年間道路と呼ばれ、12年間でその使命を終えた。

昭和39年の道「南八幡平パークライン

待望の自動車用道路、しかし・・・・

降雪による閉鎖が致命傷の国道

河野一郎書による仙岩峠開通記念碑
ヒヤ湯にほっそり建つ

ヒヤ潟から秋田方面に下る道

生保内側の仙岩峠の茶屋付近から登る昭和39年の国道

土砂に埋まる旧道(雫石川・ヒヤ湯へ行く途中

国見温泉との別れの旧道(雫石川、県道266号)

旧道から見た駒ケ岳(ヒヤ潟の近く)

 昭和26年、秋田と盛岡を結ぶ仙岩峠の道は、国道105号に指定され、昭和32年から自動車が通過できる道を目指して、秋田・岩手両県の分担で新道工事が進められ昭和39年に完成した。
 ヒヤ潟を県境として秋田・盛岡間108.6kmで結ぶこの道路は昭和37年に国道46号に指定された。
 ヒヤ潟のほとりにはこの仙岩峠の開通を記念して、時の建設大臣河野一郎によって石の記念碑が建てられ今のヒヤ潟のほとりに立ってる。仙岩峠の22キロは南八幡平パークラインの愛称で呼ばれた