峠の風景


明治・大正の道と
下部助小屋跡


仙岩峠・的方


江戸の道と一里塚跡か
(一里塚疑定地)

登り口から的方・仙岩峠まで

下部助小屋の付近の明治・大正時代の道

明治・大正時代の道を歩く

残雪ではっきり見える江戸時代の道

残雪に中で見るとわかる一里塚?(疑定地:正式な調査によって認定を待つ)

的方から見る貝吹岳

 明治・大正から昭和38年の岩手側下部助小屋周辺の峠道、比較的広いが各所で道は崩落によって途切れ、また木や笹によって侵食が進み、江戸時代の道より不明瞭。

 江戸時代の道は、掘割によって底に残雪が残り、植生の侵食から道が守られて、保存状態がいい。笹や枝をちょっと我慢すれば今も立派に利用できる。
 江戸時代の道の途中に、一里塚と思われる塚が2基あり、周囲は広場のようになっている。

 仙岩峠のピークとなる的方(まとかた)、ここには江戸時代に築かれた秋田領の御境塚である石標柱が立っている。
 的方は、仙岩峠ではじめて秋田側の眺望が開ける場所で、秋田領の石標には「従是西南秋田領(これよりせいなんあきたりょう)」と刻まれている。現在この標柱の真下は仙岩トンネルが通過している。
 的方からは、中世に雫石から仙北に逃れた「戸沢政安」が貝(ほら貝)を吹かせたと伝わる「貝吹岳」とその登山道が見える。

文化2年(1805)秋田藩によって建てられた石標。8寸角の高さ4尺5寸の石に「従是西南秋田領」と刻まれ西南を向いて建てられている。この場所からは雫石の田園風景や盛岡市街地も遠望できる。

秋田領御境塚

標高992.m。仙岩峠から南の方角に見える

下部
助小屋跡

江戸の道
一里塚?

的方(まとかた)
仙岩峠

的方からの眺望

江戸時代の
上り口

明治時代の
上り口