峠の風景
助小屋(おたすけごや)
ヒヤ潟周辺
的方からヒヤ潟の間に「助小屋跡地」と刻まれた石標が立つ開けた場所がある。ここは秋田領と盛岡領の藩境の稜線上にあり、大正時代の地図に描かれた最も上にある。助小屋交易の行われた場所と考えられる。
秋田・岩手の県境の稜線上にある潟(沼・池)ヒヤ潟は、国見峠・仙岩峠の名所。明治時代の道は国見峠を通らずヒヤ潟から下る。
また、昭和39年に現在の国道46号から国見温泉方面を通りこのヒヤ潟に出る国道(別名:南八幡平パークライン)が完成した。当時の建設大臣河野一郎による「国道仙岩峠貫通記念」と刻まれた石標が、秋田を見下ろすようにヒヤ潟のほとりに立っている。
ヒヤ潟の地名の由来は、この潟に住む竜と機織の少女の悲しい物語が伝えられており機織に使う糸通しの「梭(ヒ)」を嫌がるから「梭いや潟⇒ヒヤ潟」と呼ばれている。
そのためヒヤ潟は江戸時代の道、明治・大正から昭和38年までの道。昭和39年開通の旧国道が、時代を超えて交わる峠道の交差点になっている。
左:ヒヤ潟、
右:国道仙岩峠記念碑
残雪のヒヤ潟と記念碑、遠くに駒ケ岳
ヒヤ潟の東側を通る江戸の道
ヒヤ潟から秋田方面の眺望
助小屋
跡
ヒヤ潟
周辺
ヒヤ潟から見た駒ケ岳