峠の地名や施設名、記念碑


国見峠・仙岩峠

地名や記念碑 写真 解説
ヒヤ潟    国見峠と仙岩峠の間にある潟(沼・比較的大きな池)。この場所で、江戸の道、明治大正の道、昭和39年完成旧国道がすべて交わる場所。東南は比較的広い広場のような平地となっている。潟の東側を江戸時代の道が西側を明治・大正の道があり、東から西に旧国道が通っている。
稜線なので、岩手側と秋田側の眺望が開ける。
国見峠と
盛岡領境石標
   ヒヤ潟の北に向かう明治の道を進み、笹森岳の南側鞍部に江戸時代の道の呼び名となった国見峠のピークがある。その東側のすこし下がった場所に、盛岡領の国境を示す「従是北東盛岡領(これよりほくとう)」と刻まれた石の標柱が立っている。その場所からの北東の眺望はまさに国を見るにふさわしい絶景である。
仙岩峠と
秋田領境石標
   ヒヤ潟から南に約30分程度歩いた場所に、そこから南に見える貝吹岳の登山道と分かれる三叉路がある。そこが仙岩峠で、その真下の地下を仙岩トンネルが走っている。その場所のやや北東に向かう小道を登っていくと、秋田領の国境を示す「従是南西秋田領」と刻まれた石の標柱が立つ塚がある。この場所が的方と呼ばれ、国見峠と並ぶ峠のピークのひとつである。。盛南に秋田側の眺望が開ける。
仙岩峠記念碑    ヒヤ潟のほとりに秋田側を見下ろすように、大きな台座の記念碑がある。これは昭和39年完成した道を記念するもので、当時の建設大臣河野一郎の筆による書で「国道仙岩峠開通記念」と刻まれている。台座から秋田側の視界が開け、今は廃道となったその時の道がかいま見える。
的方(まとかた)    橋場から国見峠を目指す江戸の道は一旦的方でピークを迎え跡は稜線上の道になり、ヒヤ潟で下りまた登り道となって国見峠でピークになる。また明治の道は的方でピークを迎える。その的方に「仙岩峠」があり、秋田領の藩境塚と石標がある。的方は貝吹岳を目指してきた峠道が秋田方面へは北に、岩手方面には東に分かれる場所。
助小屋(おたすけごや)跡地
 ヒヤ潟から南に的方(仙岩峠)に向かう道を15分ほど歩くと「助小屋」跡と刻まれた石の標柱があるやや開けた場所に着く。この「助小屋」は別名山中の小屋とも呼ばれ、国見峠・仙岩峠の休憩所、避難小屋でもあった。さらにこの小屋は、秋田藩と盛岡藩の藩境になる稜線上にあり、両藩共有の緩衝地帯を利用して無人交易が行われた場所と考えられる。江戸時代の掘割道は、この場所からちょっと上がった稜線上にある。