すーと繋がっている道が山によって阻まれると、その山を越えるために、通れそうな場所を選んでを道を拓きます。その道を峠道と呼び、その一番高い場所を「峠」と呼びます。
峠は平坦な道と違って、峠は山道のの上りと下りがあり、それがそのまま文字となっています。峠という文字は国土の大半が山の日本列島に生まれた日本固有の文字で漢字ですが「中国から来た文字」ではありません。
険しい山は、人や物資の交流を妨げ、暮らしや産業、文化などの発展を妨げます。そのため山に阻まれて暮らす地域の人々は、峠道を開き、山の向こうに暮らす人々と交流を目指します。
日本海側の出羽の国と太平洋側の陸奥の国は奥羽山脈を隔てられ、風土も異なり、お互いに今も異なる意識や文化が息づいています。
古くからこの奥羽山脈を越える道として国見峠(生保内峠・遠保内峠)が拓かれ、人々の交流が行われていました。
そして、時代や交通手段とともに峠道は変化し、今のこの国見峠に、いくつかの道が残されています。
今、ここ「国見・仙岩峠」に残っている峠道はいくつあるでしょう。
@江戸時代の道
A明治から大正時代の道
B昭和39年に完成した道
C現代の道
D林道・東北電力の作業道
まるで、峠道の博物館ののようにわかるだけで5種類の道があるのです。
ヒトやモノを移動させるための道、道はくらしや文化や経済にも大きな影響を与えます。そのためにその道の障害となる山を越える峠道は重要です。そして峠道を知ることは大きな意味があると考えます。。
今「国見・仙岩峠にあるさまざまな道を訪ね、峠道そのものの意味を考えて見ませんか。
峠の学校は、今何気なく利用している峠道の意味と価値を知り、明日の道を考える小さな教室です。