助小屋交易は、秋田藩藩境の標柱と盛岡藩藩境の標柱がクロスオーバーして、稜線が藩境となる緩衝ライン上にあるという助小屋の特性を利用して行われたと思われる。藩境の緩衝ラインなため、両藩の人々がそこまでは自由に行き来でき、行き先を記した荷物を助小屋まで届けることで、反対側から荷物を運んだのち、届け先が自分の藩へ荷物を帰り荷にして持ち返るという方法で、助小屋を中継所に交易した。
その無人交易の前提として、@峠を中心とした山々には盗人がいないことA両藩の特に交易に従事した人々がお互いに信頼していることが不可欠となった。
江戸時代の藩境は、今の国境にあたり、隣の藩はまさに外国に当たる。そんな時代に人々の交流への強い思いが形になった「助小屋交易」は現代に伝えたい美風となっている。
助小屋交易の例
助小屋に着いたら、その秋田領行きの荷物を助小屋において、もしそこに秋田領から盛岡領内の届け先を記した荷物があれば、帰り荷としてその荷物を盛岡領へ運んで戻る。
同じように、秋田領側から盛岡領内が届け先の荷物を運び上げてきた人は、そこで盛岡領宛の荷物をおいて、秋田領内宛の荷物があればそれを運んで戻る。
助小屋にはいつも誰かがいて、その荷物を見張っているわけではないが、荷物が盗まれることはなかったと伝えられる。
ふもとの人々の信頼が支えた無人の交易場所として大切に利用されていた。
ふもとの人々のお互いの信頼よって実現した助小屋の無人交易
藩境の緩衝地帯にある助小屋を利用した無人交易