明治9年に開かれた「仙岩峠」。それ以後の記述は見えないが、大正時代の地図に仙岩峠の道筋が記されており、そこに3つの助小屋の位置が見える。そこにはヒヤ潟や国見峠なども記され、当時、国見峠の道も生活道路としての道として利用されていたと考えられる
 ヒヤ潟にもっとも近い助小屋の位置は、仙北市(旧田沢湖町)教育委員会によって調査が行われ、現地に石標が立てられてる。残る岩手県側2つの「助小屋」の跡は不明で、現在その調査を行っており、候補地が特定できるところまで進んでいる。

大正4年の地図に記された助小屋の位置

助小屋
(秋田側)

未確認の2つの助小屋

助小屋探索方法

 大正時代の地図にある助小屋地点を、現代の地図に落し込み、それをポケットナビ(GPS)によってその位置を特定させる方法で助小屋を探索。NPO法人秋田岩手横軸連携交流会会員「三浦隆」氏を中心とするメンバーによる数回の現地調査を行い、ほぼその位置を特定できた。しかし、そこを助小屋として完全に特定するには現地の土壌や発掘などの調査が必要となる。

 この地図上から未確認の助小屋は明治から大正にかけて利用された道沿いにあり、二つとも登り道の右側にあることがわかる。
特に、真ん中の助小屋は比較的東側に棚のように開けた平地が広がる場所と考えらる。

未確認の助小屋を探してNPO法人秋田岩手横軸連携交流会のメンバーが探索を行っています。

助小屋を追って

助小屋交易
助小屋探索
助小屋とは

大正時代の地図に記された3つの助小屋

助小屋の図面